この不確実性を愛せますか?
友達が書いた「死」がテーマのブログを読んで
グッとこころにきたことがあったので書こうと思います
友達のブログ⇓
実は私もちょうど1年前に家族を亡くして
そのときのことをブログに書いてました
でもたぶん公開するのがこわくて
ずっとしまってありました
⇓
やっと出せる、、
ここまでの道のりは長かったな
<目次>
◇おじいちゃんが死んだ
◇後悔は、今でも涙になって溢れ出る
◇もう後悔しない
◇死ってね
◇世の中は不確実でできてる、かも
◇いま、できること
◇おじいちゃんが死んだ
2018年の3月に祖父を亡くしました
倒れたのは、亡くなる2日前
その2日間は、1週間だと思えるほど長かった
「病院に通っても起きてないんじゃ会ってもしょうがない」
そう言ってあんまり病院に行かなかった、おばあちゃん
昔は仲が悪かったみたいだけどなんだかんだ父親思いな、おかあさん
わたしは、、
わたしはどうしていいか分からなかった
ベットの上に横たわって
管につながれて
機械で生かされてるおじいちゃんは
ほんとうに、そのまま
二度と起きることはなかった
◇後悔は、今でも涙になって溢れ出る
夕方の5時半になったら
家族4人で
おばあちゃんのおいしいご飯を食べる
これが、うちの習慣
なのに、この日に限って
おじいちゃんとの最期の夕ご飯を
わたしは外で食べてた
この1年間
それを何度後悔したことか、、
おじいちゃんに
もっと「ありがとう」って言えばよかった
素直に「だいすきだよ」って言えばよかった
もっともっと、って仏壇を前に涙がとまらなかった
◇もう後悔しない
おじいちゃんの死をきっかけに
大切にする価値観に
「家族を大切にする」
が追加された
これは特別な日を一緒に過ごすだけでなく
”何でもない日を一緒に過ごす”
ということ
正直17:30の夕ご飯は早すぎて
予定を入れたら食べれない
でも外での用事が多いのが、大学生
ひとり暮らししたいのが、大学生
でもね、
おばあちゃんのおいしいご飯を食べれるのが
あと10年もないんだったら
自分の予定より
17:30の夕ご飯を優先しちゃうよね
おいしいお饅頭買ってきて
太るから要らないっていうおばあちゃんの前に
あっついお茶と一緒にそのお饅頭を用意して
「一緒に食べよ」
たくさん笑って
誇張した方言で話して
一緒に体操して
茶道の話して
おいしいもの食べて
そうやって家族と過ごしていたい
◇死ってね
死ってね
たぶん悲しいことじゃないんだと思う
人生って道があるとしたら
死は、誰もが通る”点”でしかない
その”点”の先を
たまたまわたしたちが認識できないだけ
だから消えてしまったように感じて
悲しくなる
そもそも
生も、誰もが通る”点”でしかなくて
その前にもずっと道が続いてるんじゃないかな
今の人生が辛くてしんどくて
それで人より早く”点”を通ったとしても
道はずっと続いてる
たったそれだけのことかもしれない
し
全然そうじゃないかもしれない
でもね
それはほんとうに誰にも分からない
不思議だよね
今って、検索すればなんでもわかるのに
こんな根本的なことはだれも分からない
◇世の中は不確実でできてる、かも
今わたしたちが生きているこの世界も
本当はだれかの所有物かもしれない
その人たちがすごろくで遊ぶみたいに
その駒がわたしたちなのかもしれない
わたしたちが宇宙、地球って呼んでるものが
急に消えてしまうかもしれない
今の技術だったら、そうなる未来を予測できそうだよね
でもその未来が未来じゃなくなった時
わたしたちはたくさん叫ぶかもね
でも次の瞬間はさ
静寂なんだ
わたしたちの叫び声も
わたしたちが築き上げてきた
大事に思っているいろんなものも
歴史も建物も国も
戦争も貧困も革命も
お金も名誉も車も
ぜんぶ
一瞬で消えて
静寂だけが残る
まるで、生物が死ぬときみたいに
でもそれがうそっぱちだって
たぶんだれも証明できないんだ
それくらい世の中は
不確実と不思議に満ちてる
◇いま、できること
明日
交通事故で大切な人が亡くなるかもしれない
やだよ
そんなのごめんだけど
それが絶対起きないなんて
誰にも分らないんだ
だから
もしそうなっても後悔しないように
今を
大切に
生きる
好きって
ありがとうって
ごめんって
伝えよう
大きく息を吸って
太陽の光を浴びて
生きてるってからだ全身で感じよう
自分に噓つかないで
悲しくなったらちゃんと泣いて
その後、死ぬほど笑おう
そう気づかせてくれるのは
目を閉じれば
いつだって思い出せる
おじいちゃんの笑顔なんだ
それでは、あしたもいっちょ